はじめの一歩

学校を卒業した私は、大手流通企業D社に入社が決まった。そして運良く販促担当として広告の仕事に携わることになった。当時、簡単に言えば販売促進が世の中のブーム。いわゆるクリエイターズブームである。日本でも「コピーライター」や「アートディレクター」というコトバが初めて社会的に認められてきて、糸井重里氏や浅羽克美氏などの人たちが、ノーネクタイでカッコ良く仕事をしている姿が脚光を浴びていた。私はそんなクリエイターへの憧れとともに、販促業界での第一歩を歩み始めることとなった。

しかし、せっかく大手流通の販促担当としてスタートをしたのも束の間、売場へ人事異動になってしまった。子供服や呉服、毛皮や宝石などといったあらゆる物をお客さまに売ってきたが、性格上どうも小売りという業種が向かず、現実と葛藤する日々が続いていた。いわゆる「待ち」の営業ができなかったからだ。

その当時のあるエピソードがある。社内で半年間の売上げを競う大会があった。私は見事MVPを獲ったのだが、実は店の呉服売場でお客さまを待ち構えていたのではなく、自分の車を使ってこっそり外商に出ていたのだ。D社グループでは外商は御法度。ある意味違反行為をして獲ったMVPには周囲からやっかみもあった。二十歳すぎの若者には、自分は成果を上げるための最善策をとったのに、一定のルールを盾にそれを許さなかった会社組織を理解できなかった。いま考えれば、会社としては「事故があってはならない」ということで決めていたルールだったろうから当たり前のことなのだが。

そんな出来事もあり、納得がいかない若い私は、D社を辞めて故郷の広島に帰ってくることになる。次はどんな仕事をしようかと悩んでいた際に、知人にたまたま教えてもらったのが15人ぐらいのD広告という広告代理店。大手紳士服の小売業A社をメインクライアントにしている会社だった。

広告のもつ素晴らしさへの期待と根拠のない自信を持ちつつ、私は明日から始まる新しい人生に胸を鳴らせながら故郷での再スタートを切った。
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