俺が作った商品が100万円!?

こうして印刷物のテンプレート集を作って営業する方法が成功しはじめたある時、そのチラシを見た経済新聞社が取材に来てくれた。その記事が紹介された瞬間、全国の印刷会社から問合せが殺到しはじめた。とにかくこの商品を売ってくれという電話に、いくらで売ろうかと戸惑っているとと「100万出しますから」と言われた。「俺が作った商品が100万円!?」と舞い上がった私はこれはいけると思い全国的に告知を出すと、あっという間に50社に売れた。5000万円のキャッシュが入ったのである。

しかし、商品が売れて3ヶ月ほどすると、全く受注がとれないというクレームが出はじめた。一件も契約がとれないという。すると、原田さんみたいな人が周囲に居て営業トレーニングしてくれるのなら売れるのだけれど・・・ということになり、29歳の私は全国の販売先に営業手法の説明にまわるようになった。それが、現在も続けている印刷業コンサルティングの原点となっている。

その後、A印刷のマーケティング部にサポートで入って来られた先生からコンサルタントという職業をする者の話し方やロジカルシンキング、細かいコンサルティングロジックを本格的に学んでいった。


そんなある日、A印刷の社長の子息と屋上でタバコを吸いながら、今後の印刷業界について語り合っていた。私は、印刷業の体系をつくって営業マンが頭を下げないでも良い業界にしたい。印刷業界に革命を起こしたいと自分の確固たる思いを打ち明けた。すると社長の子息は、「私が応援してやるから、どんどん思うようにやるといい」と言ってくれた。

この日から、マーケティング部はどんどんコンサルティング事業の色合いを強めていった。その後も印刷物に価格を決めて体系化をし、クリエイティブを科学し、誰もが一定のレベルのコピーが書けたり写真を入れて組版できる、という商品を世の中に出し続けた。これが印刷業支援人生のスタートとなった。印刷の大革命児と呼ばれた頃であった。
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