第二の起業、唯一無二の人材業立ち上げ

東京でサラリーマン役員をしていたのだが、どうしてももう一度自らの会社を起業したいという思いが捨てられず、40歳になった時に再出発を決意する。役員の任期が2年1期だったので、辞めるなら今だ、というタイミングでもあった。

第二の起業を決意した私は、広島の友人を頼り、フォーシードがあった福山から出ることにした。広島で会社を興そうと思った背景は、地元の福山では元の部下が会社を作って頑張っていたため、そこで私が会社を作るとなると少なからず競合になって迷惑がかかると考えたからだ。

次に、どんな事業をやろうかと今一度考えた時、これまでの印刷や広告やインターネットからは足を洗うことにした。そして私は、きれいごとではなく素直にこう考えた。「世の中の経営者の一番の困りごとを助けたい」。過去に自分が経営者として何で一番困ったかなぁと考えたはじめた。それは「人材」であった。

人材には本当に困った。会社が一番成長した時期には1年で150人を採用する年があったが、地方都市の福山で150人採用するには、膨大な求人広告費をつぎ込み、採用エージェントを片っ端から利用して活動するしかなかった。しかし、エージェントが紹介してくる応募者は、高学歴ではあるが、求めている人材と全く違うというケースがあまりに多かった。さらには、一週間で辞めさせたら何十万円という違約金が発生するなどという規約もあることから、当時から「人材業はおかしい」と感じていたのだ。

優秀な人材を欲しがっている中小企業はたくさんいるし、学歴はないけどポテンシャルが高い人材もいる。それなのに、両者をきちんと橋渡しする人材エージェ ントはいない。そこで、第二の起業は「人材業だ」と決意した。私の思いはもちろんだったが、当時はちょうど人材業への規制緩和が大きく進んだ時でもあった。法律が変わり、どんどん門戸が開かれ始めていた。

こうしてスタートしたのが教育型職業紹介事業「キャリッジ」である。「キャリッジ」の由来はキャリア&カレッジで、人生のキャリアアップとカレッジという学びを提供する事業ということでスタートさせた。2004年初秋であった。条件面のマッチングだけで仕事や人材を紹介する従来の人材業に真っ向から勝負し、働く人の価値観と企業文化とのマッチングロジックも開発した。それからは今までなかった唯一無二の人材業を目指して走り続けた。

それから5年、人が働くことや成長することを応援できる会社を目指してきた人材紹介会社「キャリッジ」は、広島の大手人材紹介会社を抜いて圧倒的な転職後の定着率を維持していった。
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