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STORY原田烈伝 
─脱サラからわずか数年で年商60億へ─

第三章 夢への挑戦

印刷営業を変えたい

会社案内パッケージが日経新聞に取り上げられて印刷業界で少し話題になったとは言え、クリエイターとして企画担当をしてきた私にはまともな営業経験がなかったので苦労もした。実際に会社案内パッケージと営業ツールを持って、毎日のように飛び込み営業を行っていた。

エアコンなしの古いミッション車が与えられ、弁当を持って会社のある市から開拓先の隣の市に毎日通った。川の下に車を止め、そこから歩いて半径何百mをずっと歩いてまわっていたのだ。まずは名刺を多くもらうことを目標に、毎日の飛び込みを100件行い、名刺交換を20件。6ヶ月で3000枚の名刺を集めた。根気強く足を運んだ結果、OG社やO社、E社など誰でも知っている超大手の名刺も獲得できた。

次に名刺交換先に再訪問しようとしたのだが、3000社も訪問すると、1社1社がどのような会社であったか、担当がどんな人だった分からなくなっていた。メモには残したものの走り書きのボロボロで読めなかったりしたものだった。その経験から営業はもっと科学的に行うべきだと考えた。

そこで自分でファイルメーカーを使って作ったのが「SUMAC」という営業管理システムであった。訪問先の情報を蓄積して、いつ、どこに、だれが、どのような訪問をしているかを一括管理できるシステムである。現場を歩きまわった経験から、後に言うSFA(セールスフォースオートメーション)と似たものを独自で編み出していたのだった。

また、自らが本気で営業活動をし始めると、相手にされないから新規営業に行かない、という印刷会社の営業マンの気持ちも良くわかった。初めて訪問した際に「A印刷です」と言ったら担当者は明らかにいるのに居留守をつかわれる。また本当に不在だと信じて再訪問すると「お前しつこいな」とか無茶苦茶に酷い扱いを受ける。だから、強力な商品をつくるか、例えばDM送付後にテレアポをするなどの販売フォーメーションをつくらなければならないと思い始めた。それだけやらなければ印刷業に新規飛び込み営業はできないということが身にしみてわかった。

印刷営業を変えたい。その思いはますます強くなった。

サラリーマンから経営者へ

0歳の頃には、マーケティング部トップの部長代理になり、部下も11人、部署の売上げも3億超となっていた。しかし、給与体系や評価基準が古かったので、毎晩遅くまで頑張る部下が一律評価しかされないことがかわいそうだと常に感じており、いい方法がないものかと感じ始めていた。

そんな折、会社の方針が変わって分社経営を導入することが発表された。分社経営をするなら自らの部署も一つの会社に見立ててもらい、もっと部下が評価される制度を作りたいと思った私は、「事業計画の書き方」という本を読みながら事業計画書を作成にとりかかった。

当時の私はクリエイターとして一生をやっていこうと思っていたので、ゆめゆめ経営をやろうなどとは思っていなかった。また、父親が会社を倒産させたという過去もあり、私は会社経営をしたらいけないとも思ってそれまで生きてきた。人に迷惑をかけてはいけない、だからこそクリエイターとして一流になろうとしていた。そんな私が経営の世界に足を踏み入れたのは一つの部門を任されて社内からいくら「ミニ独立国家」と言われても、懸命に頑張る部下は評価されていないし、自分も評価されていないという矛盾を感じていたからである。

膨大な数の企画をこなし、全国の新聞もマス広告もテレビもほとんど経験していたのだが、事業計画を書くのは、ただのマーケティングやプロモーションの技術だけではできない。それには会社経営について体系的に学び、理解を深めなければならない事を痛感した。私は、まず現代経済学のケインズから独学で学び始めた。経営とはどんなものかという疑問からマネジメントや経営関連の本を片っ端から何百冊と読みんだ。自腹を切って何十万もかけてマネジメントなどの塾にも通った。

全員解雇から始まった

苦労して書き上げたを事業計画書を社長にプレゼンをしたところ、「成長したなあ」と言ってくれたので喜び、予定していた出張先に出かけた。しかしその後、神戸での研修の帰り道に何か嫌な予感がして会社に電話をすると、「原田さん、部署の全員解雇になりました!先日お出しになられた事業計画書が問題で、私たち全員が解雇になりました。」という思いもかけない部下の言葉が耳に入ってきた。

会社に戻ると役員全員に囲まれ、「これは背任行為だ。部署の拡張といって新しい社員をどんどん入れていたのは、自分が独立するためだったんだろう!」と集中砲火にあった。私は「いいえ、違います。社長になりたいのではなく、この事業を正しく評価してもらいたいから人を入れたのです」と言い返したが、当然聞き入れてもらえなかった。

将来の事を考えて私は決断し、会社に「辞めます」と言った。その日の帰り道に「株式会社のつくり方」という本を買った。会社を興すには3人の役員と監査役がいる。また、資本金1000万がいるということを初めて知った。そこで、共に退職したマーケティング部の幹部の3人とカラオケボックスでアルバイトなどしたのだが、4人で精一杯かき集めても325万しかなった。妻に聞くとコツコツと貯金をした家の頭金400万があった。それでも全部合わせて800万にしかならなかったので、残りの200万は兄が株主になってやるということで貸してくれ、ようやく1000万という資金が集まった。

こうして私はフォーシードという会社を作った。ここからが、経営者としての出発である。

第二章 発想の光
第四章 昇竜の躍進