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STORY原田烈伝 
─脱サラからわずか数年で年商60億へ─

原田烈伝  サラからわずか数年で年商60億へ─原田烈伝  サラからわずか数年で年商60億へ─

第一章 情熱の雌伏

はじめの一歩 学校を卒業した私は、大手流通企業D社に入社が決まった。そして運良く販促担当として広告の仕事に携わることになった。当時、簡単に言えば販売促進が世の中のブーム。いわゆるクリエイターズブームである。日本でも「コピーライター」や「アートディレクター」というコトバが初めて社会的に認められてきて、糸井重里氏や浅羽克美氏などの人たちが、ノーネクタイでカッコ良く仕事をしている姿が脚光を浴びて…

第二章 発想の光

堂々巡りの営業会議 新しく創出してもらった部署で努力するうちに、特進した私は幹部会議に出席できるようになった。営業関係の幹部が30人ほど集まってくる定例会議で、予算調整に次のような会話が繰り広げられるのだった。 部長「おまえの課はなんぼ行く?」課長「予算の80%です」部長「残りはどうするの?」課長「新規でなんとかやります。」部長「じゃあ翌月がんばってくれ」 しかし、翌月になると…

第三章 夢への挑戦

印刷営業を変えたい 会社案内パッケージが日経新聞に取り上げられて印刷業界で少し話題になったとは言え、クリエイターとして企画担当をしてきた私にはまともな営業経験がなかったので苦労もした。実際に会社案内パッケージと営業ツールを持って、毎日のように飛び込み営業を行っていた。 エアコンなしの古いミッション車が与えられ、弁当を持って会社のある市から開拓先の隣の市に毎日通った。川の下に車を止め、…

第四章 昇竜の躍進

キャリーバッグと自転車操業 新会社を設立した当初は会社に体力がなく、会社員時代の部下達を同時に全員雇う事ができなかったので、軌道に乗るに従って「そろそろ給料出せるから来い」と言って一人ずつ採用し、最後は元の部下全員を採用していった。 「日本の印刷会社を変えてやる」と裸一貫から始めた会社だが、世の中そんなに甘くなく、1000万円しか資本金がないので運転資金は早々に底をついた。営業をして…

第五章 新たな出発

第二の起業、唯一無二の人材業立ち上げ 東京でサラリーマン役員をしていたのだが、どうしてももう一度自らの会社を起業したいという思いが捨てられず、40歳になった時に再出発を決意する。役員の任期が2年1期だったので、辞めるなら今だ、というタイミングでもあった。 第二の起業を決意した私は、広島の友人を頼り、フォーシードがあった福山から出ることにした。広島で会社を興そうと思った背景は、地元の福…

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